日記

寝る前に書くことができないような気がして昨日の夕方に書いて途中だった。日記とはなんだろうかとこれはただの記録か。車に同乗してスーパーに向かう道のり、大通りに面した家の壁にダンボールが置いてあった。不審に思い、帰り道に助手席から降りて びしょ濡れになったダンボールの中を確認すると、タグのついた100均で買ったであろうモコモコフェイスタオルと、何枚かのシートが雨でぐしゃぐしゃになっていて、ダンボールの外にはカルカンの成猫用ウェットフードの口が開いたまま置かれていた。これは猫がいた可能性大だと思って心配になり、帰宅後に歩いて同じ場所に向かった。まだどこかにいるかもしれないと道路脇の植え込みの下や近くの茂みなどを見てまわるも、無断で土地に入ることもできず、隠れていたら見つけられないよなと思いながら歩く。ダンボールが置かれた場所から100mほどいった場所の1階に、ガラス張りで中が見えるトリミングサロンがあり、仕事中に申し訳ない、でも何か知っているかもしれない、でも申し訳ない、話しかけるの苦手怖い、でも、とグルグル考えながら、それでもやっぱり、と店内に入り声をかける。先ほど撮ったダンボールの写真を見せながら説明し、猫がいたかもしれないのだが知らないか、と伝える。「いたかもしれない」のこちらの勝手予想の部分が上手く伝わらず何度かラリーし、猫の情報は入ってきていない となったけど、一緒に現場を見に来てくれることになった。直線を歩き到着すると、「何か証拠があるかもしれない」と言いながら雨でぐしゃぐしゃになったタオルなどを躊躇なく触って確認してくれ、1人ではそこまで出来なかったと恥じた。壁側のダンボール側面を浮かせたところ、マジックペンで文字が書かれているのが分かりすぐ読んだ。横に6行ぐらいにわたって書かれていた内容は、少し端折ると「足を怪我した猫を一時保護したけど事情があって家で保護できないからダンボールに入れておいた、誰か保護できたらお願いします、首輪ついてるから飼い猫かも、かなり弱ってます」だった。ここに確実に弱った猫がいたことが分かり、感情を心に留めておくのが苦しかった。「ひどいですね」とトリミングサロンのスタッフさんが発した言葉がその時は全てだった。書かれた日にちからして、ここに置かれてから1週間弱は経過しているようで、猫がどうなったかが余計に分からなくなった。トリミングサロンのスタッフさんにお礼を言って別れ、念の為と思い、置かれた家の人に聞いてみようとピンポンを押した。知らない人同士だから不審に思われるだろうし、こちらも心労がある。2回目を押して少ししてから「はい」と反応があり、できるだけ不審に思われないように私なりにだけど掻い摘んで説明をすると、「ダンボールの存在は知っていたけど気づいた時には猫はいなかった。取りに来るかと思ってダンボールはずっと置いたままにしているが誰も来ない」との回答だった。「突然で驚かせてしまいすみませんでした、ありがとうございました」と多分過剰な挨拶をして、この流れでウロウロされると嫌だろうなと思い、捜索は切り上げて家に帰った。なんだかなあ、と怒りをぼんやりさせながら家のドアを開けて中へ入ると、先日家の庭で倒れていた野良猫のアオのことがよぎり、何かが強く繋がってしまい玄関に座って泣いた。庭にふらっとやってくる、アオと勝手に名づけて見守る、だけの関係性から、最期は家の中で一緒に丸一日過ごし、勝手に家族にした。後悔は続く。どの猫も幸せであってほしい。あのずぶ濡れになったダンボールにいたであろう子、首輪がついていたであろう子、やれること、やらなきゃならないことはもっとあっただろ、と もくもくと怒りが膨れていく。一度差し伸べた手を離すなんて。事情は誰にでもある。覚悟の問題。そんな中途半端な優しさ、覚悟がないなら、命に対して向けないでほしい。弱った猫には最初に助けたお前しかいなかったのに。飼い主が探しているかもしれないのに。悔しい。私が見つけたかった、私なら見放すことはしなかった。悔しい、悔しい。怒りが涙と共にこみあげる。こういう気持ちになると歯止めが効かなくなる。物事を許せない という気持ちは私の中で扱いが難しい。私が怒りに飲み込まれていく。ゆっくり呼吸しながら、「大事なことは猫の命。また探しに行こう」と何度も言い聞かせる。家族が家猫かかりつけの動物病院に電話して、そういう猫が来なかったかを聞いてくれたけど、いなかったとのこと。現場から一番近い病院だったので また少し落ち込んだけど、やることやれることは明らかなので、その方向に体を向けていきたい。